ユーザビリティがすべてではない

From The Joel on Software Translation Project

Revision as of 16:03, 23 April 2007 by Aoki (Talk | contribs)
(diff) ← Older revision | Latest revision (diff) | Newer revision → (diff)
Jump to: navigation, search

Joel Spolsky / 青木靖 訳
2004年9月6日月曜


何年にも渡り、自己流の評論家連中が・・・その、私みたいなのが・・・ユーザビリティについて際限なくおしゃべりし、ソフトウェアを使いやすくすることがいかに重要かと言い続けてきた。ヤコブ・ニールセンはユーザビリティの価値を算出できる数学的な計算式まで持っていて、122ドル出せば教えてくれる。(ユーザビリティの効果の期待値が122ドルより大きいなら、儲けることができるわけだ。)

私の書いた本はずっと安く買えて、使いやすいソフトウェアをデザインするための原則を学ぶことができる。もっとも数式は全然出てこないから、本に払ったお金を損することになるかもしれない。

Napster.gif

その本の31ページで、当時地上で最も人気のあったアプリケーションを例に出した。Napsterのメインウィンドウは、5つの画面を切り替えるのにボタンを使っていた。アフォーダンスと呼ばれるユーザビリティの原理に従えば、ここはボタンでなくタブを使うべきだというのが私の主張だった。

しかしそれでも、Napsterは地上でもっとも人気のあるソフトウェアアプリケーションだった。

私は実際、初期の原稿では「これでわかるのは、ユーザビリティはそれほど重要じゃないってことだ」みたいなことを書いていた。ユーザビリティの本にそんなことが書かれているのも少し妙な話だ。植字工にそのパラグラフを短くする必要があると言われたときにはほっとしたものだ。それで私はその文章をカットすることにした。

しかしそこには(少なくともUIのプロには)恐ろしい一片の真実があった: 人々が本当に欲する何か本当にすごいことをやるアプリケーションであれば、無惨なほど使いにくかったとしてもヒットしてしまうのだ。そして世界で最も簡単に使えるアプリケーションであっても、みんなが望むことを何もしないのであれば失敗することになる。UIコンサルタントはいつも防御的で、怪しげなROIの数式をでっち上げ、その75,000ドルのユーザビリティプロジェクトへの投資からいくら回収できるか示そうとするのだが、それはユーザビリティが「オプショナル」なものだと人々に認識されているからであり、そして怖いことが何かというと、多くの場合ユーザビリティは実際オプショナルだということだ。多くの場合にはね。CNNのWebサイトがユーザビリティコンサルタントから得るものは何もない。思い切って言ってしまうと、コンテンツベースのWebサイトでユーザビリティの改善から1ドルでも収入を増やせるところは1つもないだろう。コンテンツベースのWebサイト(ここで意味しているのは「アプリケーションでないWebサイト」ということだ)というのは、すでに十分使いやすいものだからだ。

それはそれとして——

今日私が話している目的は、ユーザビリティの重要性がいかに低いかと不平を言うことではない・・・ユーザビリティというのは限界的には重要なものであり、それに、まずいユーザビリティが小型機の乗り手を殺したり、飢饉や疫病を生み出している例だってたくさんある。

今日私が話そうと思っているのは、ソフトウェアデザインの問題の次の段階についてだ。UIを正しく作ったなら、次にやるべきことはソーシャルインタフェースのデザインだ。

これについてはたぶん説明する必要があるだろう。

ユーザビリティが「発明」された1980年代のソフトウェアでは、コンピュータと人の間のやり取りがすべてだった。現在でも多くのソフトウェアはそうだ。しかしインターネットは新種のソフトウェアをもたらした。人と人の間のやり取りにかかわるソフトウェアだ。

ディスカッショングループ。ソーシャルネットワーク。オンライン求人広告。そう、それに、あのメールもそうだ。これらはすべて人とコンピュータの間ではなく、人と人の間の仲介をするソフトウェアだ。

Mask.jpg

人の間の仲介をするソフトウェアを書くときには、ユーザビリティをちゃんとさせた後、ソーシャルインタフェースをちゃんとさせる必要がある。そしてソーシャルインタフェースの方がより重要なのだ。世界最高のUIがあったとしても、まずいソーシャルインタフェースを持ったソフトウェアを救うことはできない。

ソーシャルインタフェースについて説明する一番いい方法は、成功例と失敗例をいくつか示すことだと思う。


いくつかの例

最初に失敗しているソーシャルインタフェースを示そう。毎週私は聞いたことのない人から自分のソーシャルネットワークに入ってくれとメールで頼まれる。私は通常その人のことを知らないので、少しむっとしてメッセージを削除することになる。どうしてそんなことになるのかを、ある人が説明してくれた。ソーシャルネットワークソフトの中には、メールのアドレス帳を調べて、そこに載っている全員に招待状を送るツールを持つものがある。メールソフトに付いている、受信したメールの送信者を自動的にアドレス帳に追加する機能とこれを組み合わせるとどうなるか? Joel on Softwareのニュースレターに登録する人には私の名前で確認のメールが送られる。すると、ほら、私の知らないいろんな人たちから、友達であると確認してくれと頼まれることになるのだ。ニュースレターを購読してもらえるのはうれしいのだが、答えはノーだ。ビル・ゲイツに紹介してあげることはできない。私は今のところ、そういったソーシャルネットワークには参加しないというポリシーを持っていて、それはこれらのソーシャルネットワークは、人のネットワークが実際に機能する仕方にそぐわないと強く感じるからだ。

次に成功しているソーシャルインタフェースについて見ることにしよう。多くの人は、顔をつき合わせて話しているときと比べ、タイプしているときにより大胆になるものだ。ティーンエージャもシャイでなくなる。携帯電話のテキストメッセージだとデートにも誘いやすくなる。この分野のソフトウェアは社会的にとても成功していて、何百万という人々の恋愛関係を劇的に改善した(少なくとも社交上の予定表は改善した)。テキストメッセージングは、ユーザインタフェースがぞっとするものであるにもかかわらず、若者たちの間で非常にポピュラーなものとなっている。ジョークみたいなのは、すべての携帯電話には人間間のコミュニケーションのためのはるかに優れたユーザインタフェースが組み込まれているということだ。そのスグレモノは「電話」と呼ばれている。最初に番号をダイヤルすると、その後はあなたの話すことをすべて相手は聞くことができ、相手の話すことをあなたも聞くことができる。すごくシンプルだ。しかしこれはある人々の間では、「君は素敵だ」と言うだけのために長い数字の列をタイプして指を痛めることになる使いにくいシステムほど人気がない。それはあの長い数字の列でデートができるようになるからであり、自分の発声器官を使って「君は素敵だ」と言う勇気を彼らは持ち合わせていないのだ。

成功しているもうひとつのソーシャルソフトウェアにeBayがある。私が最初にeBayのことを聞いたとき、こう思ったものだ。「ナンセンスだ! うまくいきっこないよ。みんなネット上でランダムに見つけた相手にお金を払わず、その相手が善良さから品物を実際に送ってくれるのを当てにするだろう」。多くの人がそう考えた。私たちはみんな間違っていた。間違い、間違い、大間違いだ。eBayは文化人類学に対して大きな賭をし、そして勝ったのだ。eBayのすごいところは、あまりにひどいアイデアと見えたために成功したということで、ネットワーク効果と先行者利益によってeBayがロックインしてしまうまでは他の誰も試みなかったのだ。

ソーシャルソフトウェアの成功失敗ということに加え、ソーシャルソフトウェアのもたらす副作用というものがある。ソーシャルソフトウェアが振る舞う仕方が、その上にできあがるコミュニティのタイプのかなりの部分を決定づけるのだ。Usenetクライアントには大きなRコマンドがあり、これはエレガントな">"記号を左端につけてオリジナルのメッセージを引用して返信するのに使われる。初期のニュースリーダーではスレッド表示ができなかったので、誰かの議論に一貫したレスポンスをしたいと思ったら、この大きなRコマンドを使って元のメッセージを引用してやる必要があった。このことによって、Usenet特有の議論への応答スタイルが現れることになった。行単位でのあら探しだ。あら探しの好きな人には楽しいのだろうが、読むには値はしない。(それにしても、政治的ブロガーやインターネットの初心者は、このテクニックを再発明して、自分たちは何か新しくて楽しいものを発見したと思っているようだ。理由は説明しないが、それはfiskingと呼ばれている。心配しないで、汚い言葉ではないから。)

ソフトウェアにある小さな違いが、そのソフトウェアの社会的な目的をどのように支え、あるいは支え損なうかというところに、大きな違いをもたらすことになる。ダナ・ボイドはソーシャルネットワークに関する優れた批評「自閉的なソーシャルソフトウェア」を書いており、その中で現在のソーシャルネットワークソフトウェアが人々に自閉症のように振る舞うことを強いていると喝破している。

Friendster、Tribe、LinkedIn、Orkutのような明示的ソーシャルネットワークに対する最近の関心の高まりについてちょっと考えてみよう。これらのテクノロジーは人々が関係を構築し管理する方法を形式化しようと試みている。そこでは友達がレーティングできるものだと仮定されている。時には、他の人にコンタクトする絶対的なプロセスが定義されていて、新しく人とかかわるための手順を指示さえしている。
このアプローチには計算機で処理できるというメリットはあるが、これが社会生活をモデル化したものだと人々が考えることを思うと怖くなる。自閉症者のように人とかかわることを強い、手続き的に人とやり取りする必要があるかのような扱いをするのは、単純化のしすぎだ。このアプローチはそのようなシステム化を必要とする人には確かに助けとなるが、広く一般に適用できるモデルではない。そして人とのかかわり方を機械的に規定するテクノロジーを持つことの帰結は何なのだろうか? 自閉的にやり取りをすることを勧められる社会生活を、私たちは本当に望んでいるのだろうか?

ソフトウェアが文化人類学を考慮せずに社会的インタフェースを実装するなら、それは無様で気持ちの悪いものになり、実際に機能しはしないのだ。


ソーシャルソフトウェアのデザイン

ソーシャルインタフェースのデザインというのがどういうものか、ひとつ例を示そう。

ユーザが、何かすべきでないことをしたとしよう。

良いユーザビリティデザインという規範であれば、彼らのしたことの何が悪く、どうすれば正せるのか教えるべきだ。ユーザビリティコンサルタントは、これを「ディフェンシブデザイン」という名で売り出している。

しかしソーシャルソフトウェアにおいては、それではナイーブすぎるのだ。

彼らのした悪いことというのが、ディスカッショングループへのViagraの広告の投稿だったかもしれない。

それで彼らに「申し訳ありませんが、Viagraは適切なトピックではありません。あなたの投稿は掲載されません」と言う。

そうすると彼らはどうするだろう? 彼らはV1agraの広告を投稿するだろう。(あるいは検閲と憲法修正第一条に関する長くて退屈な議論を始めるかもしれない。)

ソーシャルインタフェースエンジニアリングでは、社会学と人類学の側面に注目する必要がある。社会にはたかり屋や、詐欺師や、そのほかの悪者たちがいる。ソーシャルソフトウェアにおいては、他の人たちの犠牲のもとに利益を得ようとソフトウェアを悪用する人たちが出てくるものだ。野放しにしておけば、経済学者たちが「共有地の悲劇」と呼ぶ状態になる。

ユーザインタフェースデザインの目的はユーザが成功するのを助けることにあるのだが、ソーシャルインタフェースデザインでは、ユーザの中に失敗する人が出ようとも、グループの成功を助けることが目的となるのだ。

だから良いソーシャルインタフェースデザイナは、エラーメッセージの表示をやめようと言うかもしれない。Viagraの投稿が受け付けられた振りをし、投稿者が満足して次の不適切なディスカッショングループに移ってくれるように。しかしその投稿は他のユーザには表示されない。

攻撃をそらすための最良の方法のひとつは、成功しているように見せかけることだ。これは死んだふりのソフトウェア版だ。

それがいつでもうまくいくわけではないが、95%の場合にはうまくいき、あなたの問題は1/20になる。社会学における他のことと同様、これはファジーヒューリスティクスなのだ。完璧でなくとも、多くの場合にうまくいけば、やる価値がある。フィッシングしているロシアンマフィアは、いつか抜け道を見つけ出すかもしれない。手っ取り早く金持ちになろうとするトレーラーハウスに住むばかなフロリダ人も進み続ける。私が今日受け取るスパムの90%はスパムフィルタに対して救いがたくナイーブで、Microsoft Outlookに組込まれたお粗末なスパムフィルタにさえ引っかかる。単純なキーワード検索で捕まえられるならよほど時代遅れのスパムに違いない。


ソーシャルインタフェースのマーケティング

何ヶ月か前、私はFog Creekで作っているソフトウェアに共通するテーマが、ソーシャルインタフェースを適切にすることへのほとんど強迫的な姿勢であることに気付いた。たとえば、FogBugzにはバグトラッキングが実際に行われるようにするためのたくさんの機能と、さらに多くの機能的な要素がある。私たちは、以前のバグトラッキングソフトウェアが全然使われていなかったという話を顧客から何度も聞かされている。それらのソフトが人々の一緒に働く仕方に合っていなかったためだ。しかし彼らがFogBugzを導入すると、みんな使い始め、常用するようになり、彼らが一緒に働く仕方が変わったという。私はFogBugzが実際に使われていることを知っており、それは新しいバージョンを出したときのアップグレード率が非常に高いからだ。これはFogBugzが単なるシェルフウェアでないことを示している。ライセンスをすでにたくさん買っている顧客でさえ、追加のライセンスを求めて繰り返し戻ってくる。それはFogBugzが組織の中で広まり、実際に使われているためであり、これは私が本当に誇りに思っていることだ。チームで使われるソフトウェアというのは定着するのに失敗することが多い。それはチームのみんなが仕事の仕方を同時に変える必要があるためで、それがまずありそうにないということは、文化人類学者が教えてくれるだろう。その理由により、FogBugzでは多くのデザイン上の決定が、1人で使っても有用であるようになされている。そしてチームの他のメンバにもだんだんと広まっていくのを促すようにデザインされた機能がたくさん組込まれている。

このサイトで使っているディスカッショングループソフトウェアはFogBugz 4.0の機能の一部として売り出される予定だ。これはソーシャルインタフェースの側面を適切なものにすることに対してさらに脅迫的に取り組んでいる。何ダースもの機能要件や非機能要件、デザイン上の決断が積み重なって、レベルの高い興味深い議論を導き出しており、これは私がかつて参加したディスカッショングループの中でも最もシグナルノイズ比の高いものとなっている。このことについてはアーティクル「Building Communities with Software」で詳しく書いた。

それ以来私は、優れたソーシャルインタフェースデザインの価値という考えによりいっそう没頭するようになった。私たちは専門家であるクレイ・シャーキー(この分野のパイオニアだ)を呼んで、Joel on Softwareディスカッショングループの哀れな住民たちを材料に大胆な実験をした(その多くはほとんど気づかれないくらい微妙なものだ。たとえば返答を書き込むときに返答の対象となっている投稿を表示しないようにすることで、引用が減るように仕向けている。そうすることでスレッドは読みやすいものとなる)。それからディスカッショングループスパムを減らすための先進的アルゴリズムの開発にも多くの投資をしている。


新しい分野

ソーシャルインタフェースデザインというのはまだ発展の初期の段階にある。私はこのテーマについての本を見たことがないし、この分野について研究している人もごくわずかしかいない。そしてソーシャルインタフェースデザインに関する系統立った学問というのもできていない。ユーザビリティデザインの歴史の初期において、ソフトウェア会社はエルゴノミクスの専門家や人的要因に関する専門家を、使いやすい製品のデザインのために雇っていた。エルゴノミクスの専門家は机の適切な高さについては知っていたが、ファイルシステムのためのGUIをどうデザインしたらいいかは知らなかった。そして新しい分野が生まれた。ユーザインタフェースデザインの分野が独立した一個の分野として確立し、一貫性とか、アフォーダンスとか、フィードバックといった概念を解明していった。これらはUIデザインの科学の土台となっている。

次の10年には、ソフトウェア会社は文化人類学や民族誌を学んだ人々をソーシャルインタフェースデザインの仕事のために雇うようになると思う。ユーザビリティラボを作る代わりに、彼らが現場に出て行って民族誌を書くのだ。そしてソーシャルインタフェースデザインの新しい原理が見出されることを願っている。それはきっとすばらしいだろうと思う・・・1980年代におけるユーザインタフェースデザインのように、きっと楽しいものだろう・・・だから目を離さないでいよう!

Pool.jpg

このトピックについて、Social Interface Design Forum*1で議論してほしい。

*1 このフォーラムはすでに終了している。


(オリジナル: It's Not Just Usability)

戻る

Personal tools