ユーザビリティへの第一歩(初稿)

From The Joel on Software Translation Project

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Joel Spolsky / 青木靖 訳
2006年3月7日 火曜


航空機制御システムであれば、ユーザビリティのまずさが「地表への制御下の航行」(Controlled Flight Into Terrain)という楽しげな呼び方をされる状態に到る可能性がある。

あなたのプログラムのユーザビリティの問題がそこまでクリティカルな結果に到ることはないかもしれない。運が良ければ、あなたのデザインのユーザビリティがまずくとも誰かが手足を失うか親指をなくすくらいで済むだろう。大したことないじゃん!

実際あなたがすごくラッキーなら、あなたの使えないデザインで人々がふさぎ込むという以上のことにはならないだろう。彼らは何かを成し遂げようとし、失敗するか、あるいはもがき回るかして、それは文字通り彼らを不幸せにすることになる。今後のアーティクルで私はその辺の心理学的な理由を探求するつもりだが、しかし今のところは、あなたのデザインでユーザが不幸になるというのはあなたの求めていたことじゃないはずだ、と言っておけば十分だろう。あなたの作っているのがフランス映画なら話は別だが。

だからユーザビリティに取り組む必要がある。ユーザビリティというのは良いデザインの中心にあるもので、これに関しては、私はずいぶんと時間を費やしてきた。

いいニュースは、ユーザビリティについてなら私は片足で立ったままでも教えてあげられるってことだ。準備はできてる? じゃあ始めよう。

あるものが使いやすいというのは、それが期待したとおりに振る舞うこと。

以上! 話はこれで全部だ! ラビ・ヒレルの言うように、その他のことはすべてこれの注釈に過ぎない。

ちょっとした例を挙げることにしよう。

WindowsとMacはどっちが使いやすいか?

人間のための製品をデザインするときには、想像上のユーザを頭の中でイメージしておくと助けになる。想像上のユーザがリアルなほど、彼らがその製品をどう使うか、あなたは深く考えるようになるだろう。

私の想像上のユーザはピートだ。

ピートは技術系出版社の会計士で、Windowsを仕事で6年使っており、家でも少し使っている。彼は技術にとても強い。彼は使うソフトウェアを自分でインストールしており、PC Magazineを購読していて、同僚の秘書たちが送り状を作る助けにと簡単なWordマクロを書いてあげさえしている。家ではケーブルモデムを使っている。Apple Macintoshは使ったことがない。「あれは高すぎる」と彼は言うだろう。「同じ値段で2Gのメモリを積んだ3.6GHzのPCが買える・・・」。OK、ピート。君の人物像がつかめた。

ある日、ピートは友達のジーナにコンピュータのことで助けてほしいと頼まれた。ジーナはMacintosh iBookを買ったのだが、それは彼女がコンピュータの真っ白なところが気に入ったからだ。ピートはジーナのMacintoshを使おうとして、すぐにいらいらし始めた。「こういうのは嫌いだ」。最後にはジーナを助けてあげることができたが、彼は機嫌が悪く惨めな気分になっていた。「Macintoshのユーザインタフェースときたらひどいものだ」

ひどいって? 何の話をしているの? Macintoshが優れたユーザインタフェースを持っているのはみんな知っている。そうだよね? 使いやすさのお手本でしょ?

そう。

Macintoshでは、ウィンドウをリサイズするときに、ウィンドウの右下隅をつかむ必要がある。Windowsではウィンドウの縁のどの部分をつかんでもいい。ジーナを助けようとしていたとき、ピートは右側の縁をドラッグしてウィンドウを広げようとした。イラつくことに、ウィンドウがリサイズするかわりに、ウィンドウ自体が移動してしまった。

Windowsでは、ポップアップしたメッセージボックスは、タブキーでボタンにフォーカスしてスペースキーを押せば閉じることができる。Macではスペースキーは使えない。何かの警告が出たとき、ピートはこれまでの6年間してきたように、無意識にスペースキーを押して閉じようとした。

最初にMacでそれをやったとき、何も起きなかった。とくに考えることもなく、ピートはスペースキーをもう一度強くたたいた。キーボードにちゃんと入力されなかったためだと思ったからだ。実際は、キーボードはちゃんと認識しており、そして無視したのだ! 仕方なくピートはマウスを使って閉じた。これもまた小さなフラストレーションだ。

ピートはウィンドウを閉じるときに、いつもAlt+F4を使っていた。Macの場合、同じキーでスピーカーのボリュームが変わる。ある時点で、ピートはウィンドウで一部隠れていたデスクトップ上のInternet Explorerのアイコンをクリックしようと思った。それで彼はウィンドウを閉じるためにAlt+F4を押してから、アイコンがあるはずの場所をダブルクリックした。Alt+F4でスピーカーのボリュームは上がったけどウィンドウは閉じなかったので、閉じるつもりだったウィンドウのツールバー上のヘルプボタンをダブルクリックすることになり、ヘルプウィンドウが出てきて閉じなきゃならないウィンドウが2つに増えた。

また1つの小さなフラストレーション。しかし積み重なる。一日の終わりには、ピートは不機嫌で怒っている。彼が何かをコントロールしようとしても、反応しない。スペースキーやAlt+F4キーは「機能しない」。どこから見ても、キーが壊れてしまったかのようだ。ウィンドウを広げようとしても、ウィンドウは従わない。いたずらでもするように、広がるかわりに移動する。悪いウィンドウ。そうと意識しなくとも、コントロールできないという感覚が不幸せへと変換される。「自分のコンピュータの方いい」とピートはつぶやく。「全部自分でセットアップして、思い通りに使えるようにしてある。しかしあのMacときたら、不細工で使いにくい。フラストレーションに耐える練習をしているみたいだ。Appleがvideo iPodみたいなおもちゃにかかわっていないでMacOSに専念していたなら、連中のOSもあんなひどいものにはならなかったろうに」

そうだね、ピート。私たちにはもっと分別が必要なのだ。Macintoshが、実際Macユーザにはとても使いやすいという事実にもかかわらず、ピートのような感覚が生まれる。ウィンドウを閉じるキーをどれにするかは、まったくのところ任意だ。Microsoftのプログラマは、どの縁をドラッグしてもウィンドウをリサイズできるというクールな新機能を追加していると思っていたのだ。Appleプログラマはどの縁をドラッグしてもウィンドウを移動できるというクールな新機能を追加していると思っていたのだ。

OSの偏狭な支持者たちがウェブ上でやっているユーザインタフェースの議論は、焦点がずれている。ウィンドウをリサイズするためのより多くの方法を提供しているからWindowsの方が優れているって。それが何? ポイントが違っている。肝心なのは、UIがユーザの期待したように反応するかどうかだ。そうでなければ、ユーザはインタフェースをコントロールできないように感じ、失敗することになる。簡単な話だ。あるものが使いやすいというのは、それが期待したとおりに振舞うこと。逆向きに額に刺青しておくといい。鏡を見るたびに目に入るように。

以降のアーティクルを読んでいけば、私が使いやすいデザインについて話すことはすべて、このシンプルなルールに基づいていることがわかるだろう。だから何かの具合で今夜あなたの家の庭にエイリアンが着陸してあなたを惑星Kij8zxwrkへと連れ去り、地球のインターネットにアクセスできなくなったとしても(パケットが届くのに何百年もかかる場合TCP/IPはあまりうまく機能しないからね)、大丈夫、あなたはユーザビリティデザイナの仕事をちゃんとこなすために必要なことを、もうすでに知っているのだ。


(オリジナル: Usability in One Easy Step (First Draft))

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