指揮統制マネジメント法

From The Joel on Software Translation Project

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Joel Spolsky / 青木靖 訳
2006年8月8日 火曜


フリードリヒ大王 「兵士は想像できるどのような危険よりも司令官のことを恐れているべきだ・・・善意によって普通の兵士をそのような危険に立ち向かう気にさせることはできない。兵士はただ恐怖によってのみ、そうするのだ」

指揮統制によるマネジメントは軍隊におけるマネジメントを元にしている。その基本的なアイデアは、人々はあなたの言ったとおりに行動し、そうしないときはするまで怒鳴りつけ、それでもやらない場合はしばらく営倉に放り込み、それでも変わらないようなら潜水艦でのタマネギ剥きの任務を言い渡し、2フィートの空間の中で農場から連れてきた歯を磨いたことのない若造といっしょに働かせるのだ。

ここで使えるテクニックは山ほどある。「ブルースが聞こえる」とか「愛と青春の旅だち」といった映画を借りてきて見れば学べるだろう。

あるマネージャたちがそういうテクニックを使うのは、実際に軍隊でそう学んだためだ。封建的な家庭や地域で育ったために、人を従わせるにはそうするのが自然なやり方なのだと思っている人たちもいる。単にもっとましなやり方を知らないという人たちもいる。ほら、軍隊でうまくいってたんだから、インターネットベンチャーでも上手くいくって!

ハイテクチームにおいては、この方法に3つの欠陥があるのがわかる。

第一に、みんなそんなやり方が好きじゃないということだ。うぬぼれの強いソフトウェア開発者は特にそうで、彼らは非常に頭が良く、他の人より知識があると思っていて、そう思うのには十分な理由があり、実際その通りなのだが、そのことによって何かをやるように命令されるのをすごく嫌うのだ。しかしそれはこのやり方を捨てるための理由として十分ではないだろう・・・ここでは道理をわきまえるべく努めることにしよう。ハイテクチームはたくさんのゴールを持っているものだが、みんなを幸福にすることが第一のゴールであることは滅多にないのだ。

指揮統制のもっと実際的な欠陥は、マネジメントにはそういうレベルでマイクロマネジメントができるだけの時間がないということで、それはマネージャの数が単に足らないためだ。軍隊で指揮統制が可能なのは、大勢のチームに対して一度に命令することができるからで、これは通常みんなのやることが同じことによる。「銃の掃除をしろ!」と28人の分隊に言っておいて、その間将校クラブに行ってベランダで冷えたアイスティーを飲みながら居眠りしていることができるのだ。ソフトウェア開発チームではみんな違ったことをやっているので、マイクロマネジメントしたいと思ったなら、ヒットアンドランマネジメントにならざるを得ない。つまり、1人の開発者をマイクロマネジメントして猛烈に働かせ、それから突如その開発者の前から何週間も消えて、その間は他の開発者たちをマイクロマネジメントするのだ。ヒットアンドランマネジメントの問題は、自分の決定がなぜうまくいかないのか理解したり、軌道修正したりできるほど長くその場に留まらないことにある。結果的に、毎回哀れなプログラマは軌道から叩き出されることになり、彼らは次の一週間を、列車を全部拾い集め、線路に戻してちゃんと並べ直すのに費やし、そして少しばかり打ちのめされるのだ。

欠陥の3つ目は、ハイテク企業では「リーダー」よりも個々の貢献者の方が常に多くの情報を持っていることで、決断に適した位置にいるのは彼らの方なのだ。2人の開発者が最適な画像圧縮法について2時間議論しているところへボスがふらっとやってきたというとき、この場で一番情報を持っていないのはボスであり、したがって技術的な決断を一番してもらいたくない人間がボスなのだ。Microsoftのアプリケーション部門を仕切っていたマイク・メイプルズが私のボスのボスのボスのボスだったときのことを思い出す。彼は技術的な議論でどちらかの肩を持つことを断固として拒んでいた。やがてみんな片を付けてもらいに彼のところへ行くべきではないと理解するようになった。このことによって開発者たちは問題について自分たちで議論することが求められ、問題は議論に勝った方のやり方で解決されるようになった。すなわち、問題はいつでも考え得る限り最良の方法で解決されることになったのだ。

指揮統制がチーム運営方法としてそんなにまずいやり方であるなら、どうして軍隊はそうしているのだろう?

私はこのことを下士官学校で学んだ。私は1986年にイスラエル軍の落下傘部隊にいた。今思うと、私は歴代で最低の落下傘兵だったろうと思う。

兵士には服務規程がいくつかある。その第一は、地雷原にいるときは動くな、というものだ。理にかなってるよね? これは基礎訓練の間繰り返し教え込まれる。教官が「地雷!」と叫ぶとみんな静止しなければならない。そうやって体で覚え込むのだ。

服務規程の第2番は、攻撃を受けたら射撃しながら敵に向かって走れ、というものだ。射撃することによって相手は身を隠さなければならなくなるので、あなたを撃つことができなくなる。敵に向かって走ることで彼らにより近づくことになり、敵をより狙いやすく、敵をより倒しやすくなる。この服務規程もまた、非常に理にかなったものだ。

OK、じゃあひとつ面接質問を出すことにしよう。もし地雷原にいるときに敵が撃ってきたらどうする?

これは別にそれほど仮想的な状況というわけでもない。奇襲の受け方としては非常に具合の悪いものだ。

正しい答えは、地雷原のことは構わず、攻撃者に向かって射撃しながら走る、というものだ。

その根拠は、もし動かなければ、敵はあなた方が全滅するまで、1人ずつ狙い撃ちすることができるからだ。あなた方が攻撃を仕掛けるなら、何人かは地雷を踏んで死ぬことになるだろうが、しかしそれはより大きな益のためにしなければならないことなのだ。

問題は、理性的な兵士はそのような状況で突撃しようとはしないことだ。個々の兵士にはずるをすることに対するものすごく大きなインセンティブがある。自分はその場にじっとしていて、他のもっとマッチョな兵士たちに突撃させておくのだ。これは一種の「囚人のジレンマ」だ。

生きるか死ぬかという状況において、軍隊は号令ひとつで兵士が自殺的な命令にでも従うことを必要とする。兵士というのは、ソフトウェア会社なんかではまったく必要とならないくらい従順であるようプログラムされている必要があるのだ。

言い換えると、軍隊が指揮統制を使うのは、それが18歳の若者に地雷原の中を突撃させるための唯一の方法だからであって、あらゆる状況で最善のマネジメント法だからではない。

特にそれがソフトウェア開発チームであって、優れた開発者はどこでも好きなところで働けるという場合には、兵隊ごっこをさせられるのはまったく辟易することであり、チームには誰も残らなくなるだろう。

明日は入門経済学法と私が呼ぶマネジメント方法について話そう。


(オリジナル: The Command and Control Management Method)

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